エアコンは嫌いです

都内某大学に通う文系大学生のメモ。

今週のお題「夢と挫折」

だいそれた夢を持ったことはない。根がネガティヴであるのと、期待を裏切られる恐怖から、悪い方へ悪い方へと考えて想像より実際が少しでも良いようにと気持ちを持っていく節があるから、夢などもってのほかなのだ。

夢を掲げたとしても、それを実現しようとすることはない。夢は夢であり、それに向かって頑張るなどという労力はかけていられない。日々をやっていくのに精一杯だ。

たとえばいまのわたしの夢は、彼のお嫁さんになって、フリーランスで広告デザインの仕事をゆる〜くやりながら、娘と息子ひとりずつに恵まれ、きれいなママであり続けながらかわいいパパと素直な子どもたちと暮らすことだ。これについては努力することもままあるが、彼と仲良くしていれば済むことだから、時々つまづいてもなんとかやっていけると信じている。

過去を思ってみると、寝たときに見る方の夢と同じような夢を抱いていたことが多いように感じる。ハリーポッターにはまっていた時期に、魔法が使えるようになりたいと夢をみたり、のだめカンタービレにはまっていた時期に(当時はピアノを習っていた)、のだめのように音を聞いただけで再現できるようなピアニストになりたいと夢をみたり。見るものに影響された夢が多い。

それゆえ、挫折という経験をしたこともない。唯一努力と呼べるようなことをした(しかし当時は勉強が楽しくて仕方なかったためそのような意識はない)大学受験はすべて順調、大成功を喫した。高校時代のダイエットは、ついには精神をおかしくしてしまい努力とか挫折ではなく強迫になってしまった。ほかには、努力した経験はない。これがゆとりと呼ばれる所以か。

火花については、書籍を読んだ。ブームの中、田舎でなかなか手に入らないと嘆いていた祖母が、わたしが読みたいであろうとなんとか手に入れたものを譲り受けたのだ。

又吉さんは芸人というカテゴライズでしか見ていなかったが、この人はきっとたくさんの本を読んでいてとても賢い人なのだろうなと漠然と思っていた。しかし、これほどまでに美しい文章を紡ぐことができる人だったとは思いもよらず、感動した。これじゃ、作家が何のために作家をやっているのかわからないじゃないか。

それがドラマ化されたという。しかも、書籍と同じわたしの現在のホームタウンを舞台として。

見たい見たいと熱望していたがiPadもないのにスマホの小さい画面で見るのもな、と思い踏み出せていなかった。

話を戻す。夢と挫折。書いてみようと思ったものの、わたしが想起するわたしの過去に、いわゆる夢もなく努力もなく挫折もなかった。なんて薄っぺらな人生だろう。

夢を持つのは悪いことではない。むしろ日々を彩ることができるため、よいことだとは思う。しかしその裏にある努力をするのはだるい、努力したのに叶わず結局挫折してしまったらすべてが無駄だ。そう考えると、そもそも夢を持つのは無駄なのではないか。典型的ゆとり世代と言われても文句の言えないような、あまったれた考え方だが、この屁理屈を曲げることができない。しかし根っこから屈折しているわけではない(と信じている)から、夢を持ってそれを追いかける人を見ても、イタいと思うことは少ない。むしろ、自分がそうできない分うらやましい。

夢をみている者はみな青春を生きている。だからまぶしい。夢をみることを諦めてしまった者は、そのようなきらめきに対する憧憬と嫉妬から逃れられない。

火花は、夢を持てない人にも、夢に向かって努力し挫折した過去がある人にも、現在絶賛努力中の人にも、きっと響く作品であろう。

夢も挫折もないぬるま湯なわたしから申し上げられることは何もないので、火花という作品を激烈におすすめすることだけはここでしておく。きっと映像作品となった火花も、名作なのであろう。ぜひご覧ください。まだ見てないけど。

 

Netflix火花お題「夢と挫折」

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