エアコンは嫌いです

都内某大学に通う文系大学生のメモ。

サークルとコミュニティ

内輪感ほどダサく気持ち悪いものはないし、サークルに所属し続けるなんて地獄だ。

わたしは数ヶ月前まであるサークルに所属していた。フリーペーパー出版、イベント企画、ウェブ運営など手広く活動している大学公認サークルだ。

入った当初から学園祭までは、結構楽しくやっていた。2つ上の先輩と、1つ上の先輩の一部が大好きで、べったり一緒にいた。しかし学園祭が終わり2つ上が引退すると、途端につまらなくなった。1つ上の好きな先輩は、その絶対的な頭の良さと実績ゆえに独り歩きし始めた。1つ上の男女間の不仲からくるギスギスを、2つ上の仲の良いほんわかした空気が中和していたところがあったのだが、2つ上がいなくなってからというものそのギスギスが会議中も漂い、またそもそもわたしは同期が嫌いでさほど仲良くなかったので浮きはじめた。毎週の会議が憂鬱で仕方なかった。

そんなときに大失態をやらかした。大仕事を任されていたのに、それを放り出したのだ。理由は自分でもよくわからない。というか、特にない。

信頼回復のため努めようと思ってもみたが、そこまでしてこのコミュニティに縋る意味を見出せなかった。やりたいこと、という洗脳の存在に気づいてしまった。

そうしてこの5月にサークルを辞めた。一年のときに人脈を広げまくっていたこともあり、仕事を放り出したときも辞めたときもニュースになったらしい。サークルより男をとった、とも言われた。そんなことは知ったこっちゃないが。

初対面にはある程度強い。どんな人とも、会話は交わせる。嫌われるのが怖く、好印象を持ってもらおうと努める。しかしある程度の期間付き合っていくとなると、特に自分が興味を持っていない人との関わりを切りたくなる。親しさランクが5段階なら、3段階目まで達しなかった人たちが全員鬱陶しくなる。合わない人と、会うたび挨拶するのも社交的な会話をするのも苦痛だ。そうして、知り合いを一気に増やした後そのほとんどを一気に切って、いやなやつと思われるサイクルを、環境が変わるたびに繰り返してきた。寂しがりだから知り合いがほしい、けれど気を遣いたくないから薄い知り合いはいらない。相手が自分をどう思おうと関係ない。

そのような自分にとって、サークルに表面だけ馴染むことは容易であったが、ほんとうの意味では馴染めず、どこかに居心地の悪さがあった。

バイト先もそうだ。なんとなく馴染んでいるようで、いつまで経っても馴染めない。

コミュニティに縛られるのがいやなのだ。ある程度馴染んでからほんとうに馴染めるまで努力を要するコミュニティなら必要ない。自然と居心地が良くなってゆくようなところしか要らない。極論、家族と彼とすこしの友人がいれば良い。

サークルの面倒なところは、似ているようでいろいろな人がいるところ。気があう人だけを選んでいられないところ。サークルの「らしさ」にこだわるところ。自分たちの作るものはおもしろいんだ、かっこいいんだ、おしゃれなんだ、という洗脳。

所属していない今、活動を外から見ていると、プライドの高さや思い込みのせいでから回っているのがありありと見える。気持ち悪い。実際つまらなくはないんだろうけれど、おもしろさの押し付けが強すぎる。

辞めてよかった、と思った。あの洗脳のなかで3年間過ごし、それがなくなった瞬間のことを考えるとおそろしい。なくなることはなくて、 その洗脳に一生侵されたままだとも考えられる。これほどまでにおそろしいことはない。

自分の言っていることはすべてわがままでしかないとわかっているが、まだ10代なのだからと言い訳して、もうすこしこのわがままが許されてもらいたいとも考えているため、更生するつもりもない。

こんな救いようのない自己中心人間が、就職なんてきっとできないけれど、天邪鬼でひねくれてすべてを否定する評論家のような仕事であれば、してみたいものだ。